- cronの指定そのものが効いてるときと効いてない時がある。というよりほぼ効いてない。 ->
- TwitterDigesterは所期の動作をしている模様。 ->
- そもそもCronの動作テストはどうしたらいいもんですかね。 ->
- 昨日の長崎駅から「あかつき」に乗った話の続き… ->
- 長崎市電の乗り継ぎに多少苦労しつつ、ちゃんぽんを食べて長崎駅へ戻ってきた。4月の初め、既に外は真っ暗である。「あかつき」の狭いドアから乗り込む。B寝台は4人1コンパートメントで相席(?)が母・子2人の親子連れであった。長崎から大阪へ行く模様。 ->
- 「あかつき」は動き出したが、外が暗い故、何も見るものがない。携帯の電池が心許ないので、車載電話を使うべく最後尾のラウンジカーへ。薄暗いラウンジカーには、若い女性数人組がいた。家に帰着の列車に乗ったことを連絡する、三宮で下車して帰ると。車載電話にはimodeの文字があった。 ->
- またコンパートメントへ戻る、お客はあまりいない。相席の親子連れが「大阪着くの何時かな?」と言っていたので、時刻表をみて教えてあげた。2段ベッドの上へ荷物を持って上がる。通路の上部が荷物置きになっていて上段からは使える。そこにリュックを押し込むと、まあ1人寝るには十分である。 ->
- 洗面台で歯磨きをして車両中央の自席に戻る、皆カーテンを降ろしていて静かだった。車輪の音は気になると言えば気になるが、すぐ寝た。何せその日は7時起きで指宿から三角・島原経由で長崎まできたのだ。 ->
- 翌朝、起きたら既に姫路あたりだったと思う。通路側の窓に着いている折り畳み椅子に座って三宮着を待つ。曇りで小雨が降っていた。三宮で「あかつき」を見送る。ホームの端からみた「あかつき」の最後尾はよく覚えている。 ->
- 相席の親子連れの行き先は京都だったかも知れない。この頃の写真、前後1ヶ月分ぐらいがいつの間にか消えてしまって、一切残っていないのである。18切符で九州をぐるっと回って、指宿まで行って帰りは「あかつき」を使った。 ->
- しかし、いくら横になって寝れるとはいえ、運賃・特急料金・寝台料と必要で30年前の車両、移動手段としてのブルートレインは終わったのだなと思った次第。 ->
- 1024×768の画面だとWebサービスが微妙に切れる。GoogleAnalyticsは使い物になりませんでした。 ->
- ていうかGoogleAnalytics久々に開いたら変わりすぎてて訳分からん。 ->
- 自サイトに何を載せるか…載せるものがない… ->
- さくらサーバーのcronでWordPressのページを取得、1時間前後してから自動投稿。この時間差は一体… ->
- あと30年ぐらいしたらAPFSDSを作ってダッシュ島に配備してるんじゃないかな。 ->
- 鉄腕ダッシュでトレビュシェット作ってなかったっけ。 ->
- "World record trebuchet at Warwick Castle" http://t.co/hK45UDvAMx TOKIOもこれ作ってなかったっけ? ->
- 長崎駅から「あかつき」に乗るまでの話もあるのだが、大変長い。ローカル線をひたすら乗るなら「灰羽連盟」の曲がすごく合うとだけ。 ->