小学校の1年生から、中学校3年生の12月まで近所の書道教室に通っていた。
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この近所の小学生は結構、そこの書道教室に通っていた。
通い始めた理由は、皆しているので自分もしたいという、子供にありがちな理由だった。
塾や予備校に通ったことがないので、私の習い事はこの書道教室だけである。
たまにはサボったりもしつつも、8年と9ヶ月ほとんど毎週通っていた。
誰に褒められることもなく、行けと言われることもなく。別に真面目にやっていこう等と思っていたわけでもないが、なんとなく習慣になっていたのだろう。
妹や弟も通っていた、小学校の3年あたりまでは通っている友達も多かった。
妹や弟は行かない週の方が多い月があったり、他の習いごとを始めたりで、二人とも小学校中学年の頃には辞めていたと思う。妹はピアノ、弟は水泳をやっていた。
友達も中学校まで続けていたのは、隣の地区で顔と名前は知っている程度の子だった。大体は、つまらないとか他の習い事、塾などに通うようになって辞めていく。
隣の地区の子はとても上手で、よく賞を取っていた。その子は、書道教室では中学校3年ぐらいになると大人と同じような、長文の課題をやっていた。
中学生でも大体は半紙に4文字や6文字の課題をやっている。コンテストの課題もそれぐらいの内容なのだ。行書や草書だったり、画仙紙(縦長で6文字ぐらい書ける紙)でのコンテスト課題もあるが。
私のいた書道教室では平仮名だけの硬筆(鉛筆書き)から始まって、墨で平仮名の課題になる。それも最初は2文字とか。そして漢字の楷書、行書、草書と段々学年と技術によって課題がランクアップしていく。夕方は子供ばかりで、夜になると大人の人が少し通ってくる。
平仮名でも「ゆめ」というコンテスト課題には苦労させられた。曲線ばかりで、なかなか先生が「よし」と言ってくれるように書けないのだ。
褒められたことは一つだけ覚えている。
中学校の2年ぐらいに先生から「縦線がまっすぐ引けるようになったな」と言われたことだ。
その頃は、自分でも「多少は書けるようになってきた」と思っていた程度である。
でも、今でも別段、字が上手いとは思わない。実際、あまり綺麗ではない。
書道教室も、もうやってないようだが先生は80歳を超えてご健在である。
自治会の集会所には先生の大判の作品が飾られている。
私の手元には、私の作品は残っていない。このことにも、誰も特に価値があるものだとは思っていなかったことが表れている。コンテストに出品したとき、書道教室の先生が撮ってきてくれた写真が唯一、手元に残っている「作品」である。実家の整理をしていて、中学校の時にもらった書道の賞状が出てきたので思い出した次第である。